
三岸好太郎の妻、節子の事が
知りたくて展覧会を訪れました。
三岸好太郎・節子はそれぞれの名が付いた公立の美術館があり(妻節子は一宮市三岸節子記念美術館)作品が収蔵されている唯一無二の芸術家夫婦です。
今回の展覧会は、二人の出会い→10年間の結婚生活→好太郎の死後、節子の元祖女流画家の活躍等の時代の流れが分かるように作品が並べられ二人の芸術家としての心の葛藤や夫の死後自分の画家人生にまい進する節子の心情が分る構成になっていてとても面白く一気に鑑賞してしまいました。
特に三岸節子の作品1934年(好太郎の死)~1999年までの絶筆まで三岸節子の作品を見ることができるとても良い機会になります。
夫の三岸好太郎の200点余りある作品を展示する美術館は知事公館の公園の木立の中にあるこじんまりとした落ち着いた雰囲気の建物です。
妻で画家の節子を描いた好太郎の作品が何点かあり芸術家同志の夫婦の関係について興味が沸き展覧会をずっと楽しみにしていました。
美術館HPよりお借りしました。
北海道立三岸好太郎美術館
北海道立三岸好太郎美術館入口
★コロナの蔓延防止措置のため7月11日まで公園の中を通って美術館に行けません。北3条通りからしか入ることができません。
住所
〒060-0002 北海道札幌市中央区北2条西15丁目
TEL :011-644-8901
アクセス
●地下鉄東西線宮の沢行、「西18丁目」4番出口から下車徒歩7分
●中央バス/JRバス、「近代美術館前」徒歩3分
●札幌駅よりタクシーで5~10分
三岸節子の美術館のHPも記載しておきます。
一宮市三岸節子美術館 美術館ホームページよりお借りしました。
貝殻旅行ー三岸好太郎・節子展
期間
2021年6月26日(土)~9月1日(水)
開館時間:
9:30~17:00(最終入館時間16:30)
休館日:月曜日
★コロナ対策などで変わる場合がありますので早めの訪問をお勧めします。
入場料金
一般:1100円(900円)カッコ内料金10名以上の団体、65歳以上の方(証明書提示)
★リピーター・アートギャラリー北海道相互割引料金有
大高生:600円(400円)カッコない団体料金
小学生以下:無料
★障碍者手帳提示の方と介護者1名は無料
北菓楼札幌本館(ミギシ・サテライト)
北菓楼 札幌本館
札幌市中央区北1条西5丁目1-2
営業時間:10:00~18:00
電話:0800-500-0318
店内の三岸好太郎の絵が飾られているコーナー
北菓楼札幌本館建物はかつて三岸好太郎美術館でもありました。店内に三岸好太郎作品の展示コーナー「ミギシ・サテライト」があり作品を無料で鑑賞することができます。
また今年は北菓楼30周年記念の年でもあり三岸好太郎・節子展の半券を本館に持っていくと個包装のバームクーヘン1個をプレゼントしてもらえるとの事です。(6/26~9/1)
展覧会
展覧会パンフレット前後
★展覧会は写真は不可でしたので過去に撮った美術館内での写真や展覧会カタログ写真などを使って説明していきたいと思います。
三岸好太郎(1903年~1934年)31歳死去
三岸節子(1905年~1999年)94歳死去
第一部:男と女の旅 二人の出会い、結婚生活そして永遠の別れ
第二部:女流画家の道 三岸節子は31歳で夭折した天才画家と言われた三岸好太郎の妻であり自身も絵描きでした。好太郎の死後節子は子供3人と義母義妹の面倒を見ながら絵を描き子供を育て上げ自身は50歳目前に夫好太郎が憧れたフランスへと旅行、1968年には長男一家と共にフランスへ渡り以後途中帰国するも20年に渡って南仏で制作を続け自分の道を切り開いていきました。
第一部:男と女の旅
節子1923年節子18歳、好太郎1921年18歳(展覧会カタログより)
節子は愛知県より上京し女子美術学校に通う頃の写真、好太郎は札幌で生まれ札幌第一中学校を卒業後絵描きになるべく上京した直後の写真。
好太郎は父が早くに亡くし母と妹を養いながらの貧乏絵描き、一方節子は大地主の娘でしたが1922年展覧会で出会い1924年に好太郎からプロポーズし節子19歳好太郎21歳で結婚しました。
左好太郎春陽会第一回目入選作品「檸檬を持てる少女」、右節子像「赤い肩掛けの婦人像」
節子はこの婦人像は自分より好太郎の母に似ていると語っていました。(展覧会カタログより)
展覧会カタログより、春陽会に女流画家として初入選した自画像(1925)を手に。右がその節子20歳の自画像、結婚し長女を宿しています。
この作品はポスターにもなっている作品で最初の部屋にかけてあり愁いを含んだ節子の視線がとても気になりました。結婚生活の途中から好太郎の母と妹と同居も始まりました。
三岸好太郎 道化(1930~31) 三岸好太郎美術館蔵 2021年3月に撮った写真です。
好太郎最晩年の蝶と貝殻シリーズ(1934年)
展覧会で唯一写真が許された好太郎作品「のんびり貝」(1934)
本作が高く売れそれをきっかけに「貝殻旅行」と称して妻節子を関西への旅行に誘います。そして名古でで好太郎を一人残し東京に戻りますが好太郎は胃潰瘍を悪化させ7月1日に急死。部屋に残されていたのが節子を描いた絶筆になった絵です。節子は生涯この絵をアトリエに飾っていました。
1934年 女の顔(絶筆)展覧会カタログより
今回の展覧会でこの絵は7月1日好太郎の命日に三岸節子の親族より美術館に寄贈されました。
第二部:女流画家の道
好太郎が晩年計画していた東京中野区鷺宮のアトリエの建設。(1934)好太郎の死後に完成し節子はアトリエで好太郎の遺作展を催しました。(展覧会カタログより)
1950年代の節子の作品(カタログより)
29歳で夫が急逝、3人の子供を抱え絵を描いて生きる事を決意し雑誌の文章、挿絵や座談会など何度でも引き受け子供を育て自身も絵を描き発表していきました。女流画家協会の発起人、別居婚を発表したりと新時代の女性芸術家として注目を集めました。
南仏暮らしで描いた木々(展覧会カタログより)
1968年画家の長男黄太郎一家と共にフランスに移住以後20年に渡り暮らし制作を続け時々帰国し作品を発表する。
晩年の代表作「花」1989年作(展覧会カタログより)花が好きでよく描いていた。
1889年帰国し大磯にアトリエを構える。
1999年大磯のアトリエで描いた「花」絶筆(展覧会カタログより)
まとめ
三岸好太郎・節子のともに名を冠した美術館を持つ芸術家夫婦には興味がありました。
それは自分がかつて美術学校に在籍し周りに芸術家のカップルがたくさん見たせいでもありますが。
私の周りでは美大生としてお互いに切磋琢磨していても結婚して家庭を築くといつのまにやら妻が制作を辞め夫を支えるという構図が出来上がってしまっていました。
三岸夫妻はどうだったのでしょう?
好太郎の行動は結婚しても自由奔放、制作のためならどこにでも行き妻が居ても愛人を次々に作って節子を苦しめていました。
その妻は家で細々と絵を描く日々好太郎が急死した時に「ほっとした」という言葉を漏らしています。
ただ彼女は好太郎の絵の才能を高く評価していて彼の絶筆の「女の顔」を生涯大事にし自身のアトリエにかけていました。
そして好太郎死後、アトリエを完成させ「絶対恋をしろ」と言った通り恋をし渡仏したいと言っていた好太郎の願いを叶えフランスに渡り制作します。
また節子は夫の死後、好太郎の才能を高く評価する彼女は夫の美術館を作るために彼の作品を買い戻したりして集め220点余りを夫の故郷札幌市に寄贈し故郷で彼の美術館を建てる事を望みます。
そして好太郎も節子の絵の才能を認めていたのではないかという言葉があります。
光太郎が自分の死期を予感して放った「お前が絵を描くから、俺が死んでも困らんじゃないか」その通りに節子は好太郎の倍以上の人生を絵を描くことに没頭しました。
もし好太郎が長生きしてたらこの夫婦はいずれ別れ各々の道を行ったのでは?と思います。

作品だけでなく
芸術家夫婦の心の軌跡
がわかりとても面白い
展覧会だと思います。
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